藤井六段、七段昇段なるか? 応援の面白いツイートたち。
2018年5月18日19:30現在、藤井六段はやや優勢の局面です。
藤井六段の6五桂馬に対し、53手目に船江六段が6六香と指したところですね。
お互い居玉ながら、激しい攻め合いが続いています。
さて、そんな藤井六段の昇段に向けた、
面白いツイートたち。
藤井六段は15歳という若さで将棋界を去るということを決めたか…。。あまりに早すぎる!
— 信玄の野望 (@shingen201x) May 18, 2018
もうこれ藤井六段終わったな
— ミリオン@グッバイポーリたん (@uepiece) May 18, 2018
藤井六段終了なのか・・・?
— IwasakiHiroshi (@aphexisonfireGB) May 18, 2018
強いのか弱いのか…。笑
さあ、勝てるのでしょうか?
終局まで見守っていきたいですね!
【くも膜下出血】人事は一体何をしてるのか、という話。【残業】
またしても犠牲者が出てしまった。
28歳の男性が死亡の3か月間に184時間の残業、直近2か月は80時間超の残業により亡くなった。
残業が原因でくも膜下出血になり、亡くなる方はこれまでにもいる。
2018年1月には40代の教員女性が128時間の残業で死亡しており、
新潟県教委:40代女性が勤務中死亡 時間外が125時間 - 毎日新聞
2016年8月にも40代のコンサル男性が250時間の残業で死亡している。
残業250時間、管理職扱いで残業代ゼロ...くも膜下出血で死亡した男性に労災認定 - 弁護士ドットコム
なぜ同じ過ちが繰り返されるのだろうか。
それは人事の管理不足が原因ではないかと推測する。
通常であれば、HRシステムを導入し、残業管理などは行われているのが当然といえよう。
教員はわからないが、少なくともコンサル業等においては、
このようなシステムが入っていない会社などないのではないか、と思う。
それなのに同じ過ちが繰り返されるのは、
人事の怠慢であるといえる。
現場で働く社員は、死に物狂いである。
納期に間に合わせるため、休日、休憩返上で働く。
上司の立場ともなれば、
部下の育成をしつつ、自分の業務を遂行することになり、
業務内容は格段に増すことだろう。
そんな、必死な彼らに歯止めをかけるのが、
人事の役目なのではないだろうか。
周りが見えない彼らに、休みを取ることを進めることこそが、
人事の役割であり、責任である。
それができないのであれば、その人事は仕事をしているとは言えない。
一刻も早くこの問題が解決され、
さらなる犠牲者が出ないことを望む。
何のため、誰のための「年号」?
元号の変更が間に合わないために、年金等のシステムのために平成を残すことがわかった。
日本の文化として元号を大切にしたいという気持ちはわかるが、
そのためにシステムが対応しなくなるという事態を招くのであれば、
本末転倒ではないだろうか。
控え目に言ってバカ。
— はゃっき (@Hayatsuki_yu) May 13, 2018
「国民生活に配慮し、新元号は事前に公表します」
↓
「周知期間が長いと二つの元号が併存すると受け止められるので、公表は直前にします」
↓
「 行政システムの改修が間に合わないので、一部について元号変更後も「平成」の元号を使い続けます」 pic.twitter.com/nOhTjvzWWW
政府の動きと民間の実情が合わない、
ということはよくある話だが、
現実をみなければ、このような失敗は免れない。
神奈川県の高校生7人、新橋で倒れる。その裏で起きた一般人への暴行。
こんな事が起こるのか、と驚き呆れるばかりのニュースです。
先生も先生なら、生徒も生徒というか。
新橋で高校生が倒れた現場を空撮したことが話題になっていますが、私もこの某神奈川県立の高校生から暴行と名誉毀損を受けたので、その時のことをまとめました。長文で申し訳ありません。現状、泣き寝入りすることしか出来ずとても悔しいです。 pic.twitter.com/n3tCYatvK4
— しおりん (@piyopiyo724) May 11, 2018
問題の概要はこちら。
遅刻してきた生徒を公共の場で叱ることでここまでの騒ぎになるとは想像つかなかったかも知れません。
それはいいのですが、その後の対応がよくなかったのではないでしょうか。
警察が出てくるほどの騒ぎになる前に、早く解散して、帰途に着くべきでした。
そしてその後の一般人とのやり取りでも、自分たちを守ることで精一杯に。
加害者側なので、きちんと誠意のある対応をすべきだったと思います。
羽交い締めにする高校生は論外ですが、
20手前の人間がこれでは先が思いやられますね。
うやむやにして終わるようなら、
同じ事件は繰り返されます。
被害者の方次第なのでなんとも言えませんが、
解決するように見守っていきたいと思います。
ビックロにて外国籍店員に対する人種差別。
これが事実なら許されないことですね。
ビックカメラ×ユニクロで新たな店舗展開を目指すビックロで、
以下のような張り紙がされていることが発覚しました。
中国で今炎上しているビックロの外国人差別的な規則。
— ソンミ@中国垢 (@SonmiChina) May 7, 2018
外国人(中でも主に中国人)に限って母国語の使用を禁止している。
これは明らかな外国人差別であり、「入店後の…」とあるので、労働基準法の「休憩時間を自由に利用されなければならない」の条項にも違反している。完全に違法。周知します。 pic.twitter.com/b5gKKFr9Iu
ツイート元の情報によると、1番とは40分休憩のこと。
つまり、外国人同士で休憩を取ることが許されていないということになります。
これが何を意味するのか。
おそらく、外国籍店員同士が楽しそうに会話することで、
それに妬みを持った店員による報告があったのだと思います。
これがもし、他の国で日本人同士の休憩も、日本語を使うことも許されない店舗があったと考えると、本当に心が痛みます。
言語も文化も違う国で、自国の人同士での会話すら許されない仕事場。
精神的に病んでもおかしくない状況です。
これに対し、ビックロはどのような対応を取るのか。
今後の動きには注視していきたいと思います。
【TED】やる気に関する驚きの科学 ~本当に人にやる気を与えることは何か?~【#2】
<概要>
ロウソクの問題というものがあります。(画像元:TED)
上の絵を用いて、壁にロウソクを固定するにはどうしたらいいでしょうか。
※ちょっと立ち止まって考えてみましょう。
(下に答えあり)
答え:
よく働いてもらおうとしたら、お金をたくさん出せばいいのではないか、
と考えると思います。
しかしそうすると、クリエイティブな答えは出てこなくなるのです。
アメとムチ、つまり外的動機づけが全く機能しないというわけではありません。
明確な答えがあるときは、報酬は機能するのです。
しかし現在、ルーティンワークではない仕事が増え続けています。
明確なルールがない仕事は増えているのです。
つまり、どんな業界でもロウソク問題は今後も増加していくのです。
あるアメリカの大学の実験で、
報酬レベルを大中小の3つ用意して、
様々な思考ゲームに挑戦させる、というものがありました。
決まり切ったことをするゲームでは報酬が多いほど早く終わるという結果に
なりましたが、
認知能力が少しでも必要なゲームになると、報酬は途端に邪魔になりました。
つまり、内的動機づけが必要なのです。
好きだから、面白いから、重要なことだから。
それは
①自主性
②成長
③目的
という言葉に集約されています。
実際の会社でも、このような動機付けに基づいたプログラムが行われています。
何でも好きなことをやって、一日の終わりに成果を発表しあう会社。
仕事時間の20%は、自分の好きなことに使っていいという会社。
完全結果主義で、とにかく仕事を成し遂げればいいという会社。
ほとんどの場合、生産性は上がります。
1990年代にMicrosoftはインターネット上の辞書を専門家の人に大金を払って
作ろうと考案しました。
しかしそれはあまりうまくいかず、
その後出てきた無償で製作させるという辞書がインターネット界を席巻しました。
Wikipediaという辞書です。
内的動機づけが、クリエイティブなものを作り出すためのやる気を与えるきっかけとなるのです。
<感想>
やる気がない、やる気がないと嘆いている人が多いこの社会。
そして生産性もあがっているのかわからない会社に疑問を抱いている人は相当の数いるのではないかと思います。
そんな時、なぜ学ぶのか?働くのか?
ということを考えて生きることが、やる気につながるのではないかと思います。
【TED】ビデオによる教育の再発明【#1】
今日からちょっと新しい試みを。
TEDを観て、その概要のまとめと感想みたいなのを書いていこうと思います。
<概要>
サルマンカーンが始めたYouTubeでの無料ビデオ学習についてです。
彼は遠隔家庭教師をしていて、
その時に行った授業を後でみられるようにしようと、
YouTubeに保存しておいたとのこと。
そうすると、その生徒は
彼の授業を受けるよりも、YouTubeで見た方が良い、というのです。
その理由は
①好きな時間に、くつろぎながら見られる
②わからないところで一時停止できる
③つまらないところはスキップできる(笑)
とのこと。
そうしているうちに、彼の動画は徐々に様々な人に見られるようになり、
気づけば学校でも導入されるようになったのです。
これまでの授業というのは、生徒の理解率が
70%、80%、90%、95%と様々。
仮に95%だとしても、その生徒でさえ、5%はわからないまま次のステップに進むことになるのです。
もしこれが自転車に乗る、ということだとしたら。
まだ左折ができないのに、君は合格、さあ次は一輪車だ!と…。
つまり、完全に理解するまで自分と向き合うことができる。
この手法を学校に取り入れると、
学校は非人間的に話してはいけない、ただ無機質な授業をじっと聞いていなければいけない空間ではなくなる。
むしろ、家でこの動画を見ることを宿題にし、
従来の宿題にあたるような作業を学校でやる。
そしてそのわからない部分を、先生や、他のすでに理解した生徒に聞く、ということができるようになる。
<感想>
IT教育が熱くなっている現在において、この手法はわりと原点に分類されるものです。
それでもまだ学校を見渡すと、このやり方が導入されているところはほとんどないのではないかと思います。
もしこのやり方を導入することができれば、
これまで挫折していたような生徒たちも、しっかりとついていくことができるようになるのではないでしょうか…!